福ふくろう

日常のことや趣味についてゆる~くまったりと書いています

欲望について考えてみた

みなさん、突然ですが

「欲望」

って言葉についてどう思われますか?

 

「欲して望む」

 

足りないものを埋めようとする心の動き、なんでしょうけど、この言葉から、なんとなく後ろめたさみたいなものを感じてしまうのは、私だけでしょうか?

 

「欲望」と似たような言葉で、「欲求」があります。

どう違うのかググってみたら、

  • 欲求:自分の中で完結した生理的または心理的な欲
  • 欲望:自己愛を満たすための他者との比較上での欲

って書いてありました。

 

欲求は「自分」の中で完結している「欲しいもの・こと」なので、純粋なもの。

対して欲望は「他者」との関係性がベースとなっているがゆえに、不純さが混じっている。

なので、後ろめたさを感じてしまう。

 

こう解釈すると両者の違いはなんとなく納得できますね(ただの言葉の定義ですけど)。

 

実は年をとったせいか、このところ、

  • すべからく欲望が少なくなってきた

んです。

 

なのに、

  • ある特定の領域だけ欲望が静まらない

んですよね。

 

欲望そのものは、行動の源泉であるのは間違いなく、生きていくうえで必要な要素だと思っています。

そして、もちろん、いくら下ってきたとは言え、ある程度のレベルで保有しています。

 

ただ以前に比べると、ホント、少なくなってきたんですよ。

とにかく、「あれをやりたい」と思うことが少なくなってきているし、思うことはあっても「メンドくさい」というのが先立ってしまって、行動に移さなくなってるんです。

 

この状況がさらに進んでいくと、行き先にある状態は明らかなので、何とかしなきゃとは思ってるんですけど。

 

一方、ある特定の領域だけは、欲望は一向に静まりません。

ひとつは旅行(食事も含む)。

ですが、これは日常的に満たせる欲望ではありません。

 

そして、もうひとつあるんですが、これを書くと、お読みいただいているあなたから、

「おかしいんじゃないの・・・?」

と思われそうなので、秘密にしておきます。

 

 

今年になって、1日はあっと言う間に過ぎていくのに、1週間、1ヶ月がすごく長く感じているんです。

 

 

体感時間は、期間内の経験の量と質に比例して増えるそうです。

幸か不幸か、仕事で年が明けてからも、さまざまなことがたくさん起き続けています。

日中はそれらへの対応であっと言う間に過ぎるけど、1週間、1ヶ月という期間を振りかえると多くのことがあったため長く感じている、というのがおそらく正解なのでしょう。

 

それ以外に何か理由はないのかな?とツラツラと考えていたら、もしかしたら、たくさん起きている出来事に対して、自分の関与しようという意識が低下しているのかも、と思いついたんですよ。

 

で、そうなった背景を考えているうちに、自分の「欲望」レベルが低下していることを自覚した、という次第。

(とはいえ、静まらない欲望による後ろめたさは健在です)

 

「だから何?何が言いたいの?」と聞かれたら、答えに困るのですが(笑)、まあ、そういうことでありました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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